king-of-hearts.cocolog-nifty.com > 看招!血染東方一片紅 (アルバム.風景 其の一)

画 その一 水上交番

画 その一 水上交番

 旧、下関水上警察署の建物。
統合されて下関署の一部門です。
ちなみに立て直された後のもの。
お金届けに行ったのは旧舎の方です。

 本文№21「拾ったお金と変身サイボーグ其の壱」
に登場します。


画 その二 下関文化会館

画 その二 下関文化会館

 3月一杯で閉館。そして建物もなくなっちゃう
らしいのであわてて撮りにいって来ました。
下関駅がああなっちゃったし、いつでもいいや
と思っていると案外永遠にチャンスを
失っちゃいそうで。


画 その三 55年もやっていたんだ

画 その三 55年もやっていたんだ

 3月31日で閉館した文化会館の最終日、
玄関先の掲示板に張られていた告知ポスター。


画 その四 下関文化会館.全景

画 その四 下関文化会館.全景

 こんな感じの建物です。この日はよく晴れていました。
催しものはどちらかというと高年者向けという感じで
バスから降りられた年輩層がそのまま入っていきました。


画 その五 下関文化会館.裏側

画 その五 下関文化会館.裏側

 一応撮っておきたかったので。
こっち方面からも。ちなみに道路挟んだ
真向かい側から撮りました。こちら側には
下関警察署があります。


画 その六 下関警察署

画 その六 下関警察署

 で、その下関警察署。
はっきり言うと近代的な今の建物より、
レトロな昔の建物の方が味わいがあった
のですが、働いている人にとっては
そうもいってられないんでしょうね。

本文№21.22「拾ったお金と変身サイボーグ其の壱.
其の弐」に登場します。


画 その七 文化会館となり

画 その七 文化会館となり

 某会社の支社になっている建物。
元は駅舎だったらしいんですが、
周りがことごとく建て替えられたりしていく中、
しぶとく残っています。
 向かいが海峡メッセ。ちなみに市営駐車場から
撮りました。巌流島も撮ろうとしたのですが
船が邪魔してこの日は断念。


画 その八 海峡メッセ展示見本市市場

画 その八 海峡メッセ展示見本市市場

 下関のプロレス会場のメッカ。反対側にリング運搬用
トラックを止めるスペースがあってトラックごとそのまま
リングを搬入できます。
下関駅からも徒歩で行けるため、下関体育館にかわって
メイン会場になりました。ただ最近はめっきり興業も
減ってしまったので行くことも少なくなりました。


画 その九 海峡タワー

画 その九 海峡タワー

 で、展示見本市市場の隣にはこのようなタワーがそびえ立っています。
入場料600円も取られるので一度しかいった事がありません。
きょ仙さんと昇ったあの一回が最初で最後です(笑)
巌流島が上から一望できる唯一のスポット。
 文化会館がなくなると近代的な建物ばかりになってしまって
味わい深さがなくなってしまうのが惜しいところです。
 


画 その十 下関体育館

画 その十 下関体育館

 で、こちらは地元の旧.プロレスメッカ。
奥にあるのは女子短大の建物。撮った側の
背中には陸上競技場があります。
こっちはきれいに建て替えられているのに
体育館は昔のまま。多少改装されていますが
力道山が来た頃から変わっていないという(笑)
 藤波新日本副会長の若かかり頃
大分から日本プロレスの巡業先であるこの会場にまで
押し掛け入門しに来たエピソードがあります。
またここで試合を見てみたいものです。


画 その十一 後田町あたり

画 その十一 後田町あたり

 塾帰りとかときたま通ってました。
小さい頃この当たりでテレビマガジン買った
記憶があります。その本屋はなくなっていました
が、ほとんどの店が現存していたのには
びっくり。裏通りにあるのに。

 本文№47~49に関連しています。


画 その十二 神田小学校へ続く坂

画 その十二 神田小学校へ続く坂

 数学塾へ行く時は下り坂。帰りは当然上り坂。
小学校はほぼ頂上付近にあります。
市街地なのに坂が多い下関らしい町並み。
テレビ見たさに急いでこの坂を必死で
自転車こいで昇った心臓破りの坂です。
 ちなみにうちの近所なのに小.中とも校区外
でした。何かきちゃ行けない場所みたいに
思っていたこともありました。

 本文№47~49にでてきます。


画 その十三 数学塾があったあたり

画 その十三 数学塾があったあたり

 先ほどの心臓破りの坂から裏通りに入って
しばらくするとこの坂道にでます。通っていた塾は
一軒家でしたが、今は駐車場になっているようです。
それ以外はあまり町並みは変わっていなくて、
20数年ぶりに訪れてみてびっくりしました。
 ちなみに表通りに出ると下関体育館や、
病院が隣接するバスターミナルに出ます。
こちらの様相は往年とはすっかり趣を変えています。

 本文№47~49に登場します。


画 その十四 俵山温泉の町並み

画 その十四 俵山温泉の町並み

 昨年湯治に行ったときに試し撮りしました。
その内の一枚。本来紅葉の時期なのに
木々は青々としていました。まさかひと月もしない内に
記録的な寒さになろうとは想像もしていませんでした。
 ちなみに俵山温泉は合併でお隣になった
長門市にあります。もう少し先に行くと別な温泉があって、
近くにプロレス会場(長門市農業者トレーニングセンター)
があります。プロレスファン的には天龍同盟発祥の地
としておなじみです(精神的なスタートは大分ですけど
実動はここからからがスタートですから)。


画 その十五 足湯の効能

画 その十五 足湯の効能

 やはり俵山での一枚。
足湯に入りながら撮ってみました。
ただいかんせん写メの限界で、字が細かすぎて読めない。
結構あちこちにこういう足湯場がありました。
 入ってみると意外とぬるいのですが、これはわざと
そうしているそうです。


画 その十六 俵山の町並み.2

画 その十六 俵山の町並み.2

 右手に見えるのが湯治目的で泊まれる宿が並んでいる
通り。観光と言うより本当に簡素な作り。というか食事どころで見た
町並みの写真(戦前!)が今とあんまり変わっていないのに
驚きました。走っている車がなかったら今現在といわれても
不思議じゃない。所々時間の止まった不思議な空間でした。


画 その十七 陸上競技場と体育館

画 その十七 陸上競技場と体育館

 左手が陸上競技場、奥が体育館。
手前が駐車場。無料なので普段でもたくさん
車が停まっています。今日は悪天候なのに
グラウンドゴルフ大会があって満車。
ここで幼少時サッカーの練習を嫌々
やらされたお陰でサッカーに対して壁ができてしまい
ました(苦笑)。詳しくは本文№8.9「怪獣禁止令
其の壱.弐」にて。


画 その十八 旧.下関球場跡

画 その十八 旧.下関球場跡

 現、市の中央病院。
体育館の後側にあります。もともとは大洋の本拠地がここにあったと。
取り壊し前はほとんど併設の運動公園扱いだったので
管理もされておらず出入りも自由でした(笑)
 
 ちなみに移転前のこの病院で妹が生まれました。


画 その十九 区画整理

画 その十九 区画整理

 された元は墓場。現.公園。うちの墓もここにありました。
ちなみに女優.田中絹代さんのお墓も近所だったんですが、
この公園を丁度降りたあたりにありました。

ちなみに今の移転先でもご近所になりました(笑)

 体育館方面から市街地へ抜ける道路ほ通すための
区画整理だったのです。


画 その二十 関門橋

画 その二十 関門橋

 ここもどうかすると待たされるポイント。
なんで一枚撮ってみました。左手に見えるのが
長州砲などが展示されているみもすそ川公園。
海に向かって向けられている砲門は知らない人が
船から見たらどう思うのかな?


画 その二十一 下関市立図書館

画 その二十一 下関市立図書館

 脇の陸橋の上から撮りました。
ここも子供の頃から随分通い詰めました。
今は車でこないと無理ですが、いかんせん駐車場が
狭く、最近はちょっと足が遠のいています。


画 その二十二 某新聞社 

画 その二十二 某新聞社 

 本文№30 冬の募金道.其の弐に
登場する新聞社が右手の建物。
ここだけでなく、確か九スポ(なぜか下関にある)
とか色々回ったと思います。

 この近所で高校時代夏期講習を受けて
講師にけちょんけちょんに言われたことを
今でも通るたびに思い出してむかつくことしばし。
今はもうその塾もなくなってしまいましたが。


画 その二十三 合宿所

画 その二十三 合宿所

 三河町という現在は家々が立ち並んだ住宅街に
建っています。ボーイスカウト時代に利用していた
合宿所。現在は閉鎖されているようです。
右手には国旗掲揚用のポールが当時のままありました。
中学生の頃はまだ一面草地で、人気もなく、キャンプもできた
くらいの田舎でした。でも確かここ使ったときは大雨に
たたられましたけどね。
 後の上司が直ぐ近くに住んでいてたまに訪れた事が
あるのですが、あまりに風景が変わりすぎていて、
びっくりした思い出があります。


画 その二十四 現.下関球場

画 その二十四 現.下関球場

 ここまでは比較的私用で通ることも多いので
ついでに撮ったものですが、ここまではなかなか
行く機会がないのでちょっと足を延ばして
いって見ました。まだ球場内には入ったことはなく、
敷地内自体も二回目。

 かつて故.仰木監督が近鉄時代
オープン戦でこの球場をおとずれた際、
「滅多に来ない場所だから」と先発.野茂、
中継ぎ、阿波野、抑え、吉井というリレーを披露。
仕事で見に行けなかった私は後でそれを知って
本当に悔しい思いをしたものでした。


画 その二十五 維新.海峡ウオーク

画 その二十五 維新.海峡ウオーク

 コースにはこういう旗が立っています。
今年はやや少な目かな。例年になく
桜なんかももっていて視覚的にも楽しそうな
イベントになったみたいです。一時頃でまだ
このあたりは結構な人が列作っていました。
多分途中で脱落したんじゃないかな?
早くゴールする方はもう午前中に通り
過ぎていくらしいです。

 私は参加しませんけど(笑)


画 その二十六 今はなき我が母校

画 その二十六 今はなき我が母校

 昔の写真を接写してみました。
私が通っていた頃のものです。
校舎自体はとっくの昔に取り壊されてなく、
この三月に校歌、校章が返納されて歴史に
幕を下ろしました。跡地には、中高一貫校が
建っています。

 撮影当時の校舎は松田優作先輩も通われていた
頃とそれほど変わっていないはずです。
多少建て増し等はあったそうですけど、
当時からぼろでしたから(笑)


画 その二十七 大女優ここに眠る

画 その二十七 大女優ここに眠る

 今日4.16は祖父の命日。
なので墓参りに。といっても近年は春分の日
と一緒にしてしまうことが多く、この時期は
いってませんでした。

 写真はうちの墓ではなく、うちの墓方面から
撮影した田中絹代さんのお墓です。
前にも書いた通りうちの墓とはずっとご近所です。
手を合わせて撮影の了承?をいただいて
撮りました。個人のお墓ですし観光名所
でもないのでどれがどれかという表示は
控えますけど。


画 その二十八 天気はよかったはずなのに

画 その二十八 天気はよかったはずなのに

 後で聞いたら記録的な黄砂だったらしい。
道理でぼんやり写っているはずだ...

 たまたま近場を通ったので、
足を延ばして新設された
国道191号線バイパスを走ってみたのですが、
いつの間にかこんな橋が架かっていました。
 住んではいてもこっち方面来ないからなあ。

 ちなみにこの先には長州出島という人工島が
あって、海運と陸運の新拠点として建設されたんだ
そうです。バイパスを使うと住宅地を通さずに
運搬が可能とか。まだ島自体未完成らしいけど。


画 その二十九 金賞の風景

画 その二十九 金賞の風景

 これは小学校3年時に絵画コンクールで
金賞をいただいた時に書いた風景。
店はかなり入れ替わっているものの
当時のままの建物が今も並んでいます。
国道沿いに普通に残る昭和の匂いです。


画.その三十 昔旅館だった建物

画.その三十 昔旅館だった建物

 小さい頃までは実際に
営業していました。
昔港町として栄えていた時は
こういう場所がいくつもあったんだ
そうです。繁栄の名残ですね。